【黒田勝弘】「悲運の皇太子」マサオに一度、やらせたかった[2/18]

 クアラルンプールで殺害された北朝鮮金正男氏についてコリア・ウオッチャーはよく「マサオ」といっていた。もともと日本風の名前でどこか親近感(?)があったし、日本のテレビでよく紹介されたその風貌からもどこか愛嬌(あいきょう)があって、憎めない感じだったからだ。

 ウオッチャーの間では、3代目の世襲後継者になった金正恩(ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄ということで、正男氏の将来には「このまま無事でいられるかな?」という気がかりは当初からあった。それでも「マサオ暗殺」が現実のものになってみるとやはり衝撃である。

 一報に接した瞬間「そこまでヤルか北朝鮮…」と思ったが、思いなおしてみるとこれはテロ国家・北朝鮮お得意の手口ではないか。

 1983年、ミャンマー(当時はビルマ)訪問の全斗煥(チョンドゥファン)・韓国大統領一行の爆殺を狙ったラングーン(現・ヤンゴン)爆破テロ事件や87年のアンダマン海上空での大韓航空機爆破テロ、97年の正男氏のいとこで韓国亡命中の李韓永(イハニョン)氏の殺害…。それに日本人大量拉致事件もそうだ。そのテロ体質は限りない。今回それが改めて確認されたということだ。

 韓国マスコミによると正男氏は「悲運の皇太子」という。本来なら後継者になるべき長男なのに、父(金正日(ジョンイル)総書記)のおぼえ悪く流浪の人生を余儀なくされついには祖国に見捨てられ殺害、客死したからだ。

 ところで正男氏への筆者の思いは「一度、彼にやらせたかったな」という一言に尽きる。つまり3代目最高指導者が正恩氏ではなく、正男氏だったら面白かったのにというわけだ。

 このことは拓殖大大学院特任教授、武貞秀士氏との対談本「金正恩北朝鮮 独裁の深層」で語っているが、そう思ったのは当時、五味洋治氏著「父・金正日と私 金正男独占告白」を読んだからである。

 五味氏は東京新聞北京特派員時代に正男氏と接触ができ、その後、彼とやりとりした無数のメールの内容を収録したのがこの本。その中身は正男氏に関する第一級の情報として韓国の情報機関も驚いたほどだ。

 正男氏の肉声がたっぷり紹介されているが、彼は北朝鮮の今後について「社会主義体制を維持しつつ経済の改革・開放を進める中国式のやり方しかない」「北朝鮮の発展のためには他の代案がない」と断言。権力世襲にも反対で「もの笑いの対象」と批判していた。

 スイスに9年間留学し「完全な資本主義青年に成長」したため父に警戒されたといい国際感覚は抜群。日本訪問は5回で「日本文化には小さいときから関心」があり「高倉健真田広之の映画をよく見た」というほど日本通(?)だった。

 ただこのメール情報には後に正恩氏によって無慈悲に粛清・処刑される叔父の張成沢(チャンソンテク)氏との緊密な関係が語られている。その張氏が中国式の改革・開放路線導入を検討した話も出ている。とすると張氏処刑(2013年)のときから正男氏の殺害は予定されていたのかもしれない。

 この地で権力後継をめぐる兄弟間の血で血を洗う暗闘は古代・高句麗の滅亡史にまで遡(さかのぼ)るが、日本のすぐ隣に権力をめぐって叔父を殺し兄を殺すというものすごいテロ国家が存在する事実は、やはり衝撃である。(ソウル・黒田勝弘

http://www.sankei.com/column/news/170218/clm1702180006-n1.html
http://www.sankei.com/column/news/170218/clm1702180006-n2.html

http://www.sankei.com/images/news/170218/clm1702180006-p1.jpg
金正男氏(清水満撮影)