【福岡】朝鮮半島で新羅に敗れた倭国が築造した水城から「木樋」出土、ノーベル賞受賞を祝福?86年ぶり大隅さん祖父が発見の場所

特別史跡「水城」から出土した木樋の一部
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 太宰府市の国特別史跡「水城」で、導水に使われたとみられる「木樋(もくひ)」の一部が見つかった。
1931(昭和6)年に長沼賢海・九州帝国大教授が木樋を発見したのと同じ場所。
太宰府在住だった長沼氏は昨年、ノーベル医学生理学賞を受けた大隅良典東京工業大栄誉教授の祖父にあたる。
86年ぶりとなる木樋出現は祖父からのお祝いメッセージでは、との声も出ている。

 現場は同市北部で県道が走る水城東門付近。
水城保存整備のため、同市教育委員会文化財課が調査してきた。
土塁南側の深さ1メートル未満の浅い地中から、底板や脇板とみられる遺構が出土。
脇板は腐食した状態だが、底板の保存状態は良好という。

 朝鮮半島白村江で唐・新羅に敗れた倭国(わこく)が664年に築造したとされる水城は「太宰府側に水をため、
敵来襲時に土塁を決壊させて博多側に流す」説が有力だった。
水城東門付近で行われた31年調査で土塁下を通る長さ約80メートルの木樋を確認した長沼氏や当時九大生だった鏡山猛氏は、
傾斜などから同説を疑問視していた。

 長沼さんらが発見した木樋はその後抜き取られ、所在は不明。
一方、水城の研究は75年の九州歴史資料館による発掘調査で博多側に約60メートルの「外濠(そとぼり)」が確認され、
太宰府側からの木樋による導水が判明した。

 後に九州大教授となった鏡山さんの弟子で長沼さんの孫弟子に当たる小田富士雄福岡大名誉教授は
「長沼先生は文献史学だが、考古学的な勘もよかった。今回の木樋は前と同じ所で驚きはないものの、昔と今では分析水準が違う。
長沼さんの業績を記念するような貴重な再発見だ」と言う。

 現場を通りかかって偶然、木樋出土を知った地元の60代男性は「長沼さんのお孫さんの快挙を祝うような再発見ですね」と語った。
市教委は「3月に現場説明会をしたい」としている。

=2017/02/18付 西日本新聞朝刊=

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